えっちゃんです。

えっちゃん @Ajou_ のブログです。色々なことを書きます。

家族の話 その2

こんばんわ、今日はストーブを出したので寒くないです。でも泳ぎたい。

 

あらすじ

自分の親がおかしい事に気付きました。

 

親がおかしいと気づいたところで親元を離れるわけではないので休憩時間は保健室に行って愚痴る毎日を過ごしていました。

 

そのうち保健室の先生に「えっちゃんが望むなら保護所に行くこともできるよ」といわれ保護所に行くという選択肢が浮かびました。

 

しかし、調べてみると中学生は保護所ではスマホを使えないし、高校生になって使えるようになっても色々な制約が必要らしいというのが少し気がかりとなっておりすぐに「行きたい」とは伝えられませんでした。

 

しかし保健室に自傷跡を見せに行った日と同じ謎のテンションで「センセー私保護所行くわ」と言ったのです。先に言っておきます、行ったことを後悔してます。

 

そうして数日後応接室に連れていかれた私は市の職員さんに「虐待されていてそれが嫌だから親のところから離れたいのね?」と確認されて一時保護所という一時的に子供が行く保護所に行きました。

 

そこではまず私の名前や好き嫌いや処女かどうかなどを聞かれました。当時はまだ中2で彼には会っていませんので処女です。

そして保護所の決まりごとを教えられました。色々な事情で来てる子ばかりなので話さない、目を合わせない、逃げ出さないなどだった気がします。

そして持ってきたものをメガネ以外全て預け保護所の服に着替えます。

 

私が保護所に入った時はもう8時頃で先生の話を聞く時間だった気がします。私は1人今までの事を400文字作文用紙裏表4枚に書くという保護所に来た子が最初にする事をしていました。この作文は本当にめんどくさかったです。

 

保護所での毎日はあまり良いものではありませんでした。ざっくりと説明すると朝起きて顔を洗って、ご飯の準備ができるまで先生の話を聞いて、できたら食堂に行って、食べ終わったら歯を磨いて、授業を受けて、運動をしに行って

帰ってきてお風呂に入って、お昼ご飯まで自主勉強して、自由時間の後掃除をして、晩御飯まで自主勉強をして、晩御飯を食べて、日記を書いて本を読んで、布団を敷いておやすみなさい。

イベントがあると少し変わったりしますが基本的に毎日それの繰り返しでした。

 

数週間して最初に私の担当の方がきた時私は家に帰るか施設に行くか聞かれこんな所で何年も過ごすのは無理だと思い家に帰ると答えました。家に帰るなら最初から行かなきゃよかったのにと思っています。

 

保護所で話せる相手は先生とたまにくる担当の人だけで後は目を合わせることも無意味に笑うこともできません、バレたら反省文でした。なのでただでさえあまり表情のない私はそこでさらに笑わず、喋らずになりました。

 

保護所では非行してきた人もいてそんな人が多いのか基本的に悪い事をしたらどうなるかとか、毎日反省の日記を書いていました。そんな風に抑圧されていましたのでまた「私が悪いんじゃないか」という考えがでてきたり、虐待してきた母からの手紙で泣いたりなどしました。

 

担当の方とは新宿にある大きな保護所でカウンセリングを受けたりウィスクというIQテストをしたりしました。この時のIQテストの結果が後々私のコンプレックスとなります。

 

親は手紙はくれますが虐待は認めず3ヶ月ほど過ぎました。保護所での毎日が辛くなってきて、周りの中で一番古いのは自分となってしまいました。担当の方に「親御さんがえっちゃんはすこし被害妄想があるって言ってたけど……」とほのめかされ私は「もしかしたら私の妄想だったのかもしれない」と言いました。

 

そして数週間後に家に帰ります。はっきりとはいわれませんでしたが虐待は私の妄想だったということになったのでしょう。

 

これで終わりなわけがありません。その3に続きます。