家族の話 その1
こんばんは!今日も寒くて私はオーストラリアで水泳をしたい気分になってます!水着持ってないけど!
そして憂鬱な話第2弾となる「家族の話」です。毒親系の話となりますので懊悩しながら書きます。
それでは早速書いていきましょう!
私は中学1年までは父と母が好きでした。正しくは「私の家は恵まれていて私は父と母を好きでなくてはならない」とか「私は辛いが私以上に辛い人がいるのだからそれに比べたら幸せなのだから幸せだ」とか「私は両親に愛されているのだから、その事に不満があるのであれば悪いのは多分私」って思ってたのです。
暴力や自尊心の傷つく言葉を浴びるように言われていたのですが思い込みというのは怖いですね。
しかし中2のなり、心が限界にきていたのか私は自傷行為をします。悪知恵が働き「手首はバレやすいから太ももにしよう」と太ももにしていました。
当時の私の認識としては「異常なことをしているがそれは好奇心からであって、心が病んでいるとかそういうのではない。病んでいたとしたらそれはきっと学校での人間関係が原因」でした。
その時の日記などを読むと確実に親からの言葉や暴力がきっかけで切っていたのですが。
心の中では誰かに気づいて欲しかったのか、それとも嫌がらせのためか、承認欲求のためかリア友に見せたり、Twitterにあげたりしていました。
ある日何を思ったのか保健室で生徒が少なくなった頃に「せんせー傷が痒くて痛いのでどうしたらいいか教えてください」と言いに行ったのです。
なぜそんな事をしたのかわからないし、感情的にはヘラヘラした気分でした。
先生は薬を自傷で傷ついた太ももに薬を塗りながら「なんでしたか話してみて」みたいなことを言った気がします(よく覚えてない)
そのあと私は授業を2時間サボって愚痴ってました。最初は「クラスで馴染めない」と始まったのですがその言葉の後には「そのことを話しても親がバカにするだけでまじめに聞いてくれない」などの家庭での会話、私への対応への疑問を話していました。
話しを聞いた先生の結論は「自傷行為をしているのはクラスが原因じゃなくて、両親のことが原因だし、貴方の両親がしていることは虐待」との事でした。
私は今まで「虐待」というと痣が絶えず、服はボロボロ、痩せていて不幸そうと思っていたのです。
それに対して私は殴られはするものの痣は滅多にできないし、服も買ってもらえていましたし、太っていましたから私は虐待をされているなんて微塵もお思っていませんでした。
この程度どこの家庭でもある事という認識だったのです。
そうして私は自分の両親が普通と違う事と私のストレスの原因は家庭である事を他人に肯定されて納得したのです。
その2に続きます。
恋愛話 余談
その4までつづいた恋愛話暗くてタイトルから明るいかと思って見た人はさぞかしメンタルボコられたでしょう!!!
なのでお口直し程度に性的な部分を掘り下げてみましょう!!嫌な方はUターンで。
まずは私の処女喪失相手の彼。
実は別れてしばらくしてから知ったのですが私の膣に彼のものは大きすぎたみたいなんですね。(自己申告では16㎝とのことでした、記憶があやふやなので正しいかわかりませんけど)
突いていると途中で子宮口が痛くなってくるんです、付き合っていた当初は「処女だったからいたいのかな?」とか思ってましたけど違いましたね。まぁ若いからなのか、絶倫なのか何度も相手をしてくれるところは好きでした。
野外や駅のトイレなどでばかりしていたのでそういうのにあまり抵抗がなくなったのは彼のお陰ですね。
後トラウマの多い彼でしたので噛む事も痛がる事もNGでした。噛むのも相手の痛がる顔も好きなので待てを食らった気分でしたね。唯一okされたのは髪の毛でした、髪の毛は美味しくなかったです。
お次は従兄弟さんです。
従兄弟さんは職業が自衛隊との事で首絞めがとても上手でした、初首絞めが上手い方だったので今でも首絞めは好きです。首を絞められながらバックでされるのは最高ですね!
ただちょっとマナーを守らないみたいで最初生で挿入された時は焦りましたね、しかも成人男性に筋力で勝てるわけがなく抵抗は無駄でしたし。幸い妊娠はしなかったものの「二度とやんねぇ」と固く心に誓いその後誘われてものらりくらりとかわしました。
最後は名古屋さんです。
名古屋さんはいわゆる巨根でした。ノーマルモンスターエナジー(Φ52mm-h153mm)とほぼ同じサイズでしたから、あんなものよく入ったなと自分の体を褒めたくなりましたね。
プレイは割とアブノーマルな感じで土下座しながら「ちんこをまんこに入れてください」と言ったり、その状態で頭をぐりぐりと踏まれたりしました。またサンドバックのように腹パンされたりとそういう面のMは名古屋さんによって覚醒した感あります。
こんな感じでかるーく書かせていただきました。
他の体験もあるにはあるんですがそれはまた別の記事で書きます。
恋愛話 その4
クソみてぇな恋愛話その4です。
あらずじ
別れたけど依存してるせいで離れられません。
そうやって晴れて?彼のセフレとなった私。
彼の機嫌が悪い時は話しかけなければいいし、彼は寂しがり屋で不安定な人間なので時々甘えてもらえて、抱いてももらえる。
「以前のように表立って束縛や、惚気ができない」というところ以外は満足でした。
彼は彼女に対しては辛く当たったりしていたようで彼女から「本当に愛されてると思う?」「変わったって言ってたけど変わってない、つらい」と愚痴られてました。
月に2、3回会ってセックスをしていつかはまた彼の彼女になるのだと私は思っていました。
しかし何回目かの彼との約束の日に彼が約束の時間になってもこなかったのです。
すると彼のアカウントから彼の従兄弟と名乗る人から「あいつ花見でぶっ倒れて今病院」と言われました。
詳細を聞くために従兄弟さんとLINEを交換して話していると彼は大事には至らなかったものの、何故か従兄弟さんとセックスをする約束をしてしまいました。
付き合ってはいなかったものの彼には「他の男と寝るなよ」とほのめかされていました。
従兄弟さんと寝るのは彼への裏切りです、でも私は彼以外の人としてみたい好奇心と仕方ない事とはいえ無断で彼にドタキャンされた事を理由に従兄弟と寝たのです。
感想は最初無断で生で入れられた上に1回しかできなくて正直時間の無駄でした。首締めだけは上手でしたけど。
1度裏切った事で彼への依存は少し変わります。彼をTwitterで見かけるたびに嬉しかった気持ちは見かけるたびに吐き気を覚えるようになりました。フォローを外しても見てしまいその度に気持ち悪くなっていました。
それが罪悪感からくるものなのか、嫌悪感からくるものなのかはわかりませんが。
それでもたまに会っては体を重ねていました。
彼と出会って1年半経った頃私は従兄弟さんとは別の人とセックスをしました。彼とはもうほぼしていませんし、連絡もほとんどしていませんでした。
その人は名古屋の方でわざわざセックスするために名古屋に1泊2日で行きました。この時の資金についてはちょっとした話があるのでまた別の機会に書きます。
その時に土下座させされたり、腹パンをされたり、痛いほどに踏まれる事に本格的に興奮するようになりました。
そして何年経ちずるずると時々あったり、別の人としたりして「好き」という依存が「セックスが定期的にできる相手を失いたくない」という依存になっていました、他の理由もうすーくあるのですけど。従兄弟さんも、名古屋の方も1度きりで終わっていますので依存にはならなかったのです。
そんな依存は別のセックスができる相手ができたらいなくなるわけで、別にできる相手ができた事で何年も続いた彼への依存は限りなく薄れてしまいました。
そうやって私は恋愛下手のキョド子となったのでした。
時々自分でも分からず彼に連絡をとるのはまだ依存しているからなんですかね。
恋愛話 その3
長ったらしい恋愛話その3です。
あらすじ
処女喪失。優しかったご主人様(彼氏)。優しくなくなっていきたけどまだ愛してるよね?
付き合って半年経った頃に「モラハラ」という言葉を知り、私がされているのはモラハラなのではないだろうかと思いました。
そしてその言葉を知って1ヶ月も経たないうちに私から別れようと言ったのです。
今まで何度も喧嘩のたびに「もうこんな私と付き合っていられないよね、別れた方がいいよ」と言って別れようとしましたが、その度に「嫌だ」と言われるのを期待していました。
今回もそれを期待していました、別れたいと別れたくないの狭間で返ってきた答えは
「いいよ、えっちゃんが別れたいなら別れよう」でした。
そうして私は彼と別れたのです。
別れた後は本当に悲しくて涙がぼろぼろ出ていたのを覚えています。自分から言ったくせに「冗談なんじゃないか」とペアアイコンをしていたTwitterを見てアイコンが変わっているのに嘆いたりしていました。今のところ一つの事で数日間泣いていたのはその時だけです。
なぜそんなに悲しかったかというと、その1で少し書いたような気がしますが私は彼に依存していたのです。
依存している人間が対象から無理矢理離せられるとなんとかして取り戻そうとします。
私は別れて1週間も経っていないのに彼のLINEに「もう一度やり直したい」と言いました。
少し話が変わるのですが
私は物事を覚えるのがとても苦手です。覚えようとするものほど忘れてしまいます。
それと私は好きな人が見ていない場所というものがなければ自分らしく生きられません。いくら好きでも時々嫌な部分というのは出てきてそれをどこかに吐き出したくなるのです。
やり直したいならその二つを私に直せと言ってきました。
私は「直すから待ってて」と言って直そうとし始めました。
しかしその2つは直そうにも直せません。それがわかっていながら彼は言ったのでしょう。
私は彼に「直すから(誰のものにもならないで)待ってて」という意味で言ったのですが彼はその後私の前の彼女と寄りを戻します。
待っててと言ったのに、私とはよりを戻さないのになんで、など色々思いましたが所詮蚊帳の外。
私は蚊帳の外なら外なりに2人の仲を引き裂こうとしました。別垢を作って彼女に近付こうとしたり、ブロックはされていなかったので彼にこっそりLINEをして彼女の愚痴を聞いたり。
別垢からするのは失敗したのですが、普通に自分の垢からなぜか彼女と仲良くなりました。元カノという事で彼の愚痴を最も共感できる相手になっていたのでしょう。
もう一方の彼から彼女の愚痴を聞く作戦は成功しました。彼女という一番彼に酷くされる立場ではなくなりその上彼を肯定していればいいというのはとても楽でした。
そして私は彼女と仲良くなったにもかかわらず、彼女が旅行に行っているうちに彼に会い性処理をしたのです。受験になんとか成功した春の話でした。
その4に続きます。
世界仰天ニュース
今日放映された「世界仰天ニュース キレる妻の心の闇SP」というのを家族で見ました。
これは田房永子さんの実録エッセイを元に映像を作ったというものなのですが。
子供の頃に親から受けた精神的な暴力が原因で人に自分の心を伝えることができない、そのせいで優しい夫に暴力を振るってしまう。というものでした。
映像の中には田房さんが母親に暴言を吐かれるシーンや、そのせいでうまく表現できないというものもありました。
これを家族と見るのは結構勇気が必要だったのですが、なにか反応があるかと思い見て見ました。
期待していた反応は無反応で心の中で反省してもらうことだったのですが、そんな風に思い通り進むわけがありませんよね。
「あーわかるわかる、でもこんないきなりキレないでえっちゃんが何度言ってもわからないからキレるんだよね」というものでした。
うん、さすが!予想を裏切らない!
毒親などの映像を見るたびに自分にもこういうところがあると自覚しながらも、そこを正当化できるのはもはや才能と言えるのかもしれません。
期待しなきゃいいのにと自分でも思いますが、私の親として成長していると思いたくてたまにこういった番組を見てはしんどくなるのです。
恋愛話 その2
今日は寒いので一日中布団に抱かれていました。
そして恋愛話その2です。いえーい。
簡単に前回のあらすじを書くとネットで知り合ったご主人様と呼んでいた相手とリアルで会って恋(依存)に落ちました。
処女を渡すきっかけはなんてことはありません。一言で言えば「私がいれたくなったから」です。
その日は駅の女子トイレの洋式に2人で入ってキスをしたりフェラをしていました、そのうち私が興奮し始め見張らかったように彼がコンドームを私に差し出して来ました。
「準備はできてるよ、したいならえっちゃんが好きにしていいよ」というわけです。
私は当たり前のように彼の男性器にコンドームをつけて自分から彼の上に跨り対面座位での挿入をしたのです。
初めての挿入は想像よりも痛くなく、妄想よりも気持ち良いものではありませんでした。そうして私は駅の女子トイレで処女をなくすという珍しい体験をするのです。
それから私は彼と会うたびに性行為をするようになりました。
ホテルで、カラオケで、野外で、トイレで、様々というほどではありませんが普通はしないような場所ですることが多かったです。
私は処女をなくしたことで精神的に童貞を卒業したような、みんなよりも大人になった気分になっていたのです。
その時私はちょうど学校での人間関係がうまくいかず保健室登校をしていました。不登校になるわけにはいかなかったのです、だって両親にバレた所で無理やり行かされるのはわかっていましたから。
もちろん性行為以外の事もしました。当時同じように年上のネットで知り合った彼氏と付き合ってた友人とダブルデートをしたりもしました。その後「二人きりになりたい」と言われカラオケでしましたが。
しかし優しかった彼がだんだんと優しくなくなっていくのです。喧嘩が増え、暴言を吐かれ、殴られこそしないものの壁を蹴ったりなどして威嚇をするようになるのです。
お互い束縛をされたい、してしまうが束縛はされるのに彼は自由になっていきました 。女性といてもスカウトマンだから、返事が遅くても社会人だから、そういえば納得してしまいますがおそらく浮気をしていたのでしょう。
喧嘩もいつも彼からめちゃくちゃに言われ結局私が謝っていました。
それでも機嫌さえ悪くなければ優しいから、プレゼントだってくれるし、私は愛されてると自分に言い聞かせてどうにか付き合っていました。
「DV」という単語も頭には浮かびましたが「でも殴られてないから、痣もできてないし」とその選択肢は消しました。
私は彼氏にDVをされている可哀想な女にはなりたくなかったのです。
そうやって私は盲目状態で彼の悪い部分を見ないで付き合っていきます。
その3に続きます。
恋愛の話 その1
こんばんは、今日は雪が降っていて寒いですね。
今日はタイトル通り恋愛の話をしようと思います。たまにツイートしている「元彼」の話です。私が「キョド子」のようになった原因であり、今の私がある理由です。
当時中学3年の私は受験を控えているのにもかかわらず精神が不安定でいわゆる病み垢と言われるアカウントで活動していました。
今の私が中学3年の私を見る限り、彼女は一時保護所から家に帰って来たばかりで家族との距離感がうまくつかめず、しかも唯一のストレスのはけ口だった自傷行為も止められ、どうしたらいいか分からずなにかにすがりたいと思っていたのだと思います。
そんな中で知り合ったのが当時の彼氏です。
私は今ほどではなくとも自覚のあるMで彼もMという事で最初は仲良くなり、話しているうちに遊びのような主従関係を築き私は当時の彼を最初「ご主人様」と呼んでいました。
私は彼の劣悪な家庭環境から自力で逃げ出した所や、自分を必要としてくれているという所や、自信家なのに自分には弱音を吐いてくれるところに惚れていたのだと思います。
そんな風に毎日話しているうちにリアルでも会ってみようとなり、人生で初めて私はネットで知り合った人と会う事になったのです。その後ネットの人と会うようになったのは彼のお陰と言えるでしょう。
会う日当日と9時に中野駅で待ち合わせをしていました。
しかし11時になろうと一向に来ません。
そろそろ帰ろうかと思った頃にLINEで「ごめん、今起きた」ときました。
そこから彼が到着したのは待ち合わせから4時間経った13時でした。
はじめ彼を見た感想は「チャラい…」というものでした。Twitterでの女性的な文章からは想像もできない見た目でした。
だって私がものすごく地味なのに対して彼はヒョウ柄のパーカーで来たんですよ?チャラいしそんな人に耐性のない中学生、めちゃくちゃビビります。
そういう「パリピ」と呼ぶに相応わしい人間らしくコミュニケーション能力がとても高かったです。後にスカウトマンということを知り彼のコミュ力の高さは仕事柄というのが大きかったのがわかるのですが。
その日はその後なにもなく普通に遊んで帰りました。
そして私は彼と多い時は週に2回のペースで会い始めます。
私は彼を家族がいない時に家に入れたり、挿入こそしないもののフェラをしたり、手で下半身をいじられたりなどはしていました。
自分は気持ちいいし、相手も喜んでいる。そこになんの疑問も持ちませんでしたし、既に私は彼に依存し始めていました。
そして元々性的な事に興味があり、自分の「処女」というものに全く価値や重要性を感じていなかった私はある日彼に処女を渡すのです。
キリがいいのでその2に続きます。