えっちゃんです。

えっちゃん @Ajou_ のブログです。色々なことを書きます。

ダイエット1

こんばんは、えっちゃんです。

暑くて暑くてもうう、人が外に出たらだめなんじゃないのって気持ちで毎日過ごしてます。

 

久々の更新でタイトルはダイエット。

知ってる方は知っていると思うのですが私は今年の1月からダイエットをしているんですね。

 

きっかけはお相手さんからの「俺の誕生日(7月)までに52㌔にならなかったら二度と会わない」という言葉でした。

当時の私は57…Max60㌔、BMI数値は28近く、体脂肪率は43%のおデブちゃんでした。

ダイエットを本気でしたことのない私。過去にしようとした事はあったのですがなんやかんやで食べる事はやめられない、運動はできないだから食べたら吐く、でも体重は変わらないみたいな感じでした。

 

そんな私ですが会えないのは悲しいので痩せましたよ、えぇもちろん。

そして期限の7月よりだいぶ前の3月下旬に52㌔以下になってます。

 

よくダイエットをして痩せた事が人に知れると「お相手さんの事が本当に好きなんだね」とか「お相手さんのためならなんでもするんだねw」とかって言われます。

 

違いますよ?

 

もちろんきっかけはお相手さんの言葉です。それでも途中から52㌔という数字は目標ではなくなっているし、52㌔をすぎてからも私はダイエットをやめてません。

お相手さんの言葉はきっかけに過ぎず、私は私のために痩せているのです。

 

その「私のため」という努力を他人に「お相手さんのため」なんて理由に歪められるのは心底不愉快で今回こうやって書きました。

お相手さんが嫌いとか、好きとかではないんです。事実とは違うことを言われるのが、思われるのが嫌なんです。

 

私のダイエットがお相手さんのためならば私は今も太っていたでしょうし、52㌔になった瞬間やめてます。

そうじゃないから今こうやって努力し続けてます。

 

他にも「恋でもしたの?」「女の子になってきたね」「彼氏でもできた?」なんて言われますけどね。

 

お前ら恋をしなきゃ、女にならなきや、恋人ができなきゃ自分磨きしねぇのかよ!!!!

そりゃ目標がなきゃしないでしょうよ!太ってても別に死なないからね!でもその目標をなんで私に聞かないで決めつける?お前は私のなんなんだ?私の何を知ってるんだ?

……とまぁ思ってたことを書かせていただきました。もちろん恋をしたから、女の子に目覚めたから、恋人ができたからってする人もいるでしょうけどね。

 

少なくとも私は今回ので「努力は自分のために努力するべき」と思ったので自分のためにしてます。

他人のためにしても結局他人がそれだけの価値がなければする意味がないし、例えそれだけの価値のある他人がいたとしても努力しろというのを待ってたらいつまでも始まらないからです。

 

まぁそんな感じでちょっと変化したえっちゃんでした。

ダイエット2で痩せてよかったこと書きます。

 

江ノ島に行きました

こんばんは、えっちゃんです。

書きますと言ってから数日経っていますが許してください。単純にやる気がなかった。

 

普段お相手さんとのデートと言えばホテルからの飯なのですが前回「普通のデートしてみるか」と言われ江ノ島に行くことになりました。

 

江ノ島を選んだ理由は私が海が好きで、水族館が好きで、程よく遠いからです。

ここ数年海には触れておらず、海に行きたい欲が溢れていたのでちょうど良かったです。

 

待ち合わせは9時に片瀬江ノ島駅集合。

待ち合わせが9時と言われても8時頃に来るような人なのでえっちゃんは始発で片瀬江ノ島駅に行きました。

めちゃくちゃ眠かったのでもう始発で行くなんて頭のいかれたことはしません。

 

8時半頃にお相手さんも着きいざ江ノ島!その日は暑くて日焼け止めを塗ったのに若干日焼けしてしまうほどでした。

 

ネットで調べたたこせんを食べるためにあさひ本店に向かったのですが、まだ開店して間もないのに結構人が並んでしましたね。

たこせんよりもえびせんの方が味が濃くて私は好きでした。たこせんも、えびせんも私の顔よりも大きかったのでインスタ映えはしそうですね。

 

次に何も計画していないのでとりあえず江ノ島散策と言って気の向くままに歩き始めました。

猫がたくさんいると聞いていたのですけどあまりいませんでしたね、猫好きなのに…。

 

岩場に行くとカニが岩の陰に隠れていたりして見つけるのが楽しいかったです。

後海はしょっぱかった。

 

展望台のあるところに行ったところ敷地内にフレンチトースト専門店のお店があり、40分待ちとの事でしたので展望台に登って時間つぶしをすることに。

鳶よりも上の位置にいるのってなんだか新鮮ですよね。後展望台内に展示されていた絵が鮮やかだったので行った人は見てみてほしいです。

 

フレンチトーストはサクフワ食感でした。

食レポは苦手なので実際に食べてください。

 

その後にお相手さんのヤニタイムを挟んで新江ノ島水族館へ。

途中で「抱きたい」と言われてドギマギしながら歩いてました。その日はセックスとか考えておりませんでしたのでドキドキだったのです。

 

私はクラゲが好きなのですが、この新江ノ島水族館はクラゲの展示が多く、

更にクラゲのショーなんかもあるのでワクワクしながら入りました。

 

GWだからでしょうか、家族連れがとても多かったです。

団子みたいな魚がとても可愛らしかったですよ勝手に団子魚と名付けておきます。

クラゲのショーはタイミングが悪く見れませんでした。それでもクラゲはたくさん見れましたのでとても満足です。

 

水族館を出た後はすぐそこの浜辺へ。

用意周到な私はきっちりタオルを持って入りましたとも、ぱちゃぱちゃしているのは子供ばかりで少し恥ずかしかったです。お相手さんも入れば良かったのになー。

 

そうして堪能して、後は何をしようかとなったら先ほど聞き流したセックスしたいアピをお相手さんがしてくるではありませんか。

「したくないの?」と聞かれてしまったら「したいよ!」としか返せず結果江ノ島からいつものホテルへ行きました。

 

欲望に負けやすいえっちゃんです。

 

夜は焼肉を食べてお家に帰りました。

 

最後の方はいつもと同じになりましたが普段密室でしか長時間過ごさないお相手さんと青空の下でデートするのは新鮮でしたね。

またどこかへ出かけたいなぁ。

恋愛話 その3

こんばんは、気づいたらお風呂に三時間入ってました。

 

あらすじ

捕獲されてファミレスに行きました。

 

ファミレスをでてから私は正直な話「このあとヤるんだろうなぁ」って思ってました。なので割とすんなりついて行っていた気がします。

 

ただ勘違いしないで欲しいのが、お相手さん以外の方とあってその日にするなんて事金銭的な取引がない限りしたことがありません。本当に自分でもびっくりするような行動だったんです。

 

そうしてホテルに着いた私。ホテルまではすんなり着いて来たのに着いた途端ビビって部屋の隅で小さくなってしまいました。

普通にビビってたのもあるんですが、当時の私はホテルに行ったことがほぼなくホテルでどうするのかを知らなかったんです。スーツのジャケットを脱いで行くお相手さんを見ながら「どうすんの?出口は後ろだけど逃げるのも失礼じゃない?」って脳内会議してました。

 

「何ビビってんの?w」と言いながら近づいてくるお相手さんに対して肉食獣に睨まれた草食獣のように怯える私。後ろに立たれたと思ったら脇の下に腕を突っ込まれ、立たされて抱きしめられました。

人との距離感が人よりも広く、人に抱きしめられるなんて慣れていない私でしたので物凄く混乱してこの時の事はよく覚えていません。ただ気付いた時には首を絞められもうなにがなんだか分からなくなっていました。

 

最後にお相手さんが笑顔で「やっちゃったねー」と言った言葉に物凄く興奮したのは今でも残ってます。あの時なんともない言葉が私の中ではすごく官能的で幸せな事だったんです。

 

こんな感じでお相手さんとの初めましての話は終わります。

初めましてから好き好き言うようになるまで、素直になるまでは時間がかかったのですが、最初から私はお相手さんに夢中になるようになっていたのだとこの文を見て思いました。

 

補足として最低な事を書きますが当時の私は元彼との関係が薄れており、また恋人もおらず精神的に「恋をしたい」「性欲を発散したい」という状況だったのだと思います。そんな状況の中現れたのがお相手さんでした。

私がお相手さんの好きなところを聞かれて「都合のいいところ」と答えるのはそういう意味も含まれていたりします。

 

まぁそんな感じで終わります。

普段年齢が実年齢よりも上に見られる私のリアルな感じが知れたのではないでしょうか。

 

 

恋愛話 その2

こんばんは、最近体重は減らないわ、カロリーオーバーはするわで散々な感じのえっちゃんです。今日も1日がんばるぞいっ!の気持ちで頑張ってます。

 

あらすじ

お相手さんが嫌いだった私、謎の現象により好きになり始めての通話で会う約束をつけられた。 

 

そして会う日の当日。私は普段初めましての方と会う時はすごい気合いを入れて会うのですが、なんとなく気合いを入れて会いたくなかったのでジーパン、Tシャツに買い替え時を過ぎている下着とかいうテキトーな格好で待ち合わせ場所に行きました。

 

私はお相手さんの顔を知っていましたので見た瞬間にわかったのですが私はコミュ障、自分からなんて話掛けられず、しかも「まぁ向こうが見つけなかったら帰ろう」とまで考えていました。

そんな感じで考えていたらお相手さんから電話がかかってきて、目があった瞬間「しまった!」という顔をしてしまったため顔を見せたことはないのに捕獲されてしまいました。

 

捕獲された後は「腹減ってない?」と言われファミレスに。

私は人と目を合わせるのがものすご〜く苦手なのですが、お相手さんってこっちの顔をめちゃくちゃ見てくるんですよ。せっかく目が合いにくいように斜め向かいに座ったのになんて考えながら「こんなコミュ障の相手して楽しいいですか?」とか「わざわざこんなところに何しに来たんですか?」とか「〇〇ちゃんたすけて…」とか言ってました。

 

それに対してお相手さんは「たのしいよ?」とか「えっちゃんに会いに」とか笑ったりとかニヤニヤしててそれがまた恥ずかしさを助長させるんですよ。

 

後なぜか「手出してみ?」と手を出されて手の下に手を置いたら笑われて、それに対して「普通に手を乗せたら握られると思って、それで下なら大丈夫かと思って」なんてテンパって言っていた気がします。

ただこれがあったから少しですが自分からお相手さんに触るようになりましたね(指の先くらいですが)

 

今考えると私卑屈でしかも中々酷い対応してますよね。まぁ慣れない父くらいの年齢の男性で、しかも「死ね」とか言ってくるような人で、住む世界がだいぶ違う方だったので緊張しない方が無理なんですけど。

 

そして1時間くらい経ったでしょうか「ホテル行く?」みたいな事をにっこり笑顔で聞かれ、「無理です無理です‼︎‼︎私未成年ですし⁈」と全力で拒否りました。「ビジホなら未成年でも入れるよ」と返ってきてコメントしづらかったので急いで別の話題を出したのを覚えてます。

 

そしてまぁ飲み物も飲みきってそろそろ帰りますかーみたいな雰囲気になったのでファミレスの会計に…その時「なんかこの人に払われるのは嫌だ!!」と若干食い気味に千円札を出してしまい、後からなんて恥ずかしいことを反省してました。でもなんとなく払われるのが嫌だったんです。

 

まだまだ緊張したままファミレスをでました。

 

次回に続きます。

 

恋愛話

こんばんは、最近めっきり更新してませんでした。理由は特に書くものが思いつかなかったからです。

タイピングは好きなんですけどね。

 

そして今回はリクエストされたのでお相手さんと読んでいる方について話します。

この「お相手さん」という呼び方は「私と性行為はするけど私がセフレと呼びたくないから」という理由でできた呼び名です。

特定の名前を上げるとその人が主人と勘違いされて仲良くしてもらえない事があり、かと言ってセフレなんて言える程対等でもなく…お相手さんと呼ぶまで結構悩んでたんですよ?

 

今でこそお相手さん大好き!となっていますが最初の頃はどちらかというと苦手でした。

 

お相手さんの事は私が緊縛に興味をもちそこから縛り手さんをフォローしている中フォローしたのですが、最初は絡まずただツイートを眺めている一方的なフォローでした。しかしなぜかお相手さんに私が当時していた「住みを聞かれたらウクライナと答える」というツイートがお相手さんの目に留まりそこからフォロバされて絡むようになったのですが…

少し話は変わりますが私は「死ね」と言われるのが嫌いです。悪ふざけでも、本気でも、よく知らない相手からなら尚更。

そしてお相手さんは口癖のように「死ね、カス」と言ってきましたので「縛るのは上手いけどなんだこの人…」というのが最初の印象でした。

いや、本当に仲良くもないひとに「死ね、カス」って言われたら嫌になると思うんですよ。そんなわけで最初は苦手でした。

 

ただ縛るのは上手だし、基本かまってちゃんなので構われるとそれなりに喜んではいました。口は悪くてほぼ毎回「死ね」と言われてましたけど…。

第一印象が悪ければ悪い程その後好意を持つようになる現象をなんというんでいたっけ?まぁ私も例に違わずその現象により好意を持つになっていきました。

 

そうしてまぁ嫌いから普通(好き)くらいになり、お相手さんの周りの女性とも交流を持つようになりました。

その中の1人に会うことになる前にお相手さんについて話したのですが、中々いい人?まぁ会って害があるわけではないみたいな事を言われその時に「会ってみたいな」と思ってしまいました。

 

そしてある日カカオを追加され通話をする流れになっていたのです。なぜか最終的に会う約束をつけられて会うことになりました。

 

会った日の話は次の記事で。

 

家族の話 その3

こんにちは、今日は比較的暖かいですね。

Amazonで水着をポチろうか悩んでます。水泳したいよう……。

 

あらすじ

一時保護所に虐待されたから行って、妄想ということにされて帰ってきました。

 

帰ってきた初日はまるで他人のような扱いでした。

 

しばらくはもう児相になんて相談されないようにいたれつくせりで、私は他所の子が優しくされるような扱いをされ、私がいなかった間どんなに辛かったか話されたりしました。そして「これが普通でこれからこんな風になっていくのかな」と思っていました。

 

そんな感じで2ヶ月程経ったでしょうか、まぁ根本的なところは変わっておりませんので他所の子のような扱いもなくなり、よそよそしくしていた妹も「ババア」と呼ぶようになり

妹を殴る父に母は「そんなことしたらまた児相に言われちゃうよw虐待ってw」とか妹が母を叩くと「虐待されてるーw」とかって言うようになるのです。

 

虐待」なんて単語、自分が悪ければ出したいなんて思わないはずですからきっと母は少しも反省していないどころか、私が反抗期だからそんな事をしたと思っているのでしょう。

現に妹が反抗期になった時に「反抗期の時えっちゃんは一時保護所に行ったじゃんw」と言われましたから。

 

実は一時保護所から出た後も児相にはその後の経過を話に行ったり。後児童精神科も行ってたんです。

担当さんは変わったのですが、前回の方が嫌い過ぎて「うまくいってます」の一点張りでした。

 

精神科の先生は

「妹にババアと言われるのが辛い」

といったところ

英語を日本語に変えるみたいに、ババアをオネェちゃんって言われてるってすればいいんだよ

と言われてからうまくいってるしか言わなくなりました。それができたらいってねぇよ。

 

学校は元の学校に戻ったのですが卒業後友人に聞いた話だとこの一時保護所にいた期間は「妊娠して休んでる」という噂を流されていたらしいです。

 

 

とまぁ悪化こそすれど「私は殴られなくなった」以外の改善はなにもありませんでしたね。むしろ児相に行ったことを母にいじられるくらいですから。

毒親は直りませんという話でした。

家族の話 その2

こんばんわ、今日はストーブを出したので寒くないです。でも泳ぎたい。

 

あらすじ

自分の親がおかしい事に気付きました。

 

親がおかしいと気づいたところで親元を離れるわけではないので休憩時間は保健室に行って愚痴る毎日を過ごしていました。

 

そのうち保健室の先生に「えっちゃんが望むなら保護所に行くこともできるよ」といわれ保護所に行くという選択肢が浮かびました。

 

しかし、調べてみると中学生は保護所ではスマホを使えないし、高校生になって使えるようになっても色々な制約が必要らしいというのが少し気がかりとなっておりすぐに「行きたい」とは伝えられませんでした。

 

しかし保健室に自傷跡を見せに行った日と同じ謎のテンションで「センセー私保護所行くわ」と言ったのです。先に言っておきます、行ったことを後悔してます。

 

そうして数日後応接室に連れていかれた私は市の職員さんに「虐待されていてそれが嫌だから親のところから離れたいのね?」と確認されて一時保護所という一時的に子供が行く保護所に行きました。

 

そこではまず私の名前や好き嫌いや処女かどうかなどを聞かれました。当時はまだ中2で彼には会っていませんので処女です。

そして保護所の決まりごとを教えられました。色々な事情で来てる子ばかりなので話さない、目を合わせない、逃げ出さないなどだった気がします。

そして持ってきたものをメガネ以外全て預け保護所の服に着替えます。

 

私が保護所に入った時はもう8時頃で先生の話を聞く時間だった気がします。私は1人今までの事を400文字作文用紙裏表4枚に書くという保護所に来た子が最初にする事をしていました。この作文は本当にめんどくさかったです。

 

保護所での毎日はあまり良いものではありませんでした。ざっくりと説明すると朝起きて顔を洗って、ご飯の準備ができるまで先生の話を聞いて、できたら食堂に行って、食べ終わったら歯を磨いて、授業を受けて、運動をしに行って

帰ってきてお風呂に入って、お昼ご飯まで自主勉強して、自由時間の後掃除をして、晩御飯まで自主勉強をして、晩御飯を食べて、日記を書いて本を読んで、布団を敷いておやすみなさい。

イベントがあると少し変わったりしますが基本的に毎日それの繰り返しでした。

 

数週間して最初に私の担当の方がきた時私は家に帰るか施設に行くか聞かれこんな所で何年も過ごすのは無理だと思い家に帰ると答えました。家に帰るなら最初から行かなきゃよかったのにと思っています。

 

保護所で話せる相手は先生とたまにくる担当の人だけで後は目を合わせることも無意味に笑うこともできません、バレたら反省文でした。なのでただでさえあまり表情のない私はそこでさらに笑わず、喋らずになりました。

 

保護所では非行してきた人もいてそんな人が多いのか基本的に悪い事をしたらどうなるかとか、毎日反省の日記を書いていました。そんな風に抑圧されていましたのでまた「私が悪いんじゃないか」という考えがでてきたり、虐待してきた母からの手紙で泣いたりなどしました。

 

担当の方とは新宿にある大きな保護所でカウンセリングを受けたりウィスクというIQテストをしたりしました。この時のIQテストの結果が後々私のコンプレックスとなります。

 

親は手紙はくれますが虐待は認めず3ヶ月ほど過ぎました。保護所での毎日が辛くなってきて、周りの中で一番古いのは自分となってしまいました。担当の方に「親御さんがえっちゃんはすこし被害妄想があるって言ってたけど……」とほのめかされ私は「もしかしたら私の妄想だったのかもしれない」と言いました。

 

そして数週間後に家に帰ります。はっきりとはいわれませんでしたが虐待は私の妄想だったということになったのでしょう。

 

これで終わりなわけがありません。その3に続きます。